メモ帳

千葉の田舎で生まれ、東京の出版社で働いている20代。ノンフィクションを中心に、読んだ本や観た映画についてのメモ代わりに書いています。

ラブライブ!「スクスタ」20章のストーリーが荒れている理由と所感

■まえおき
ラブライブ!スマホゲーム「スクスタ」が荒れている。
10月31日15時より配信された最新のストーリー(20章)の展開に不満を抱くユーザーが多いためである。

スクスタは「スクフェス」に続くラブライブ!シリーズのスマホゲームアプリである。
アプリではこれまでの「μ's」「Aqours」に続く、3つ目のグループとなる虹ヶ咲学園(通称:「ニジガク」)スクールアイドル同好会がメインで活躍するストーリーとなっている。なおμ'sとAqoursも改変で同学年となり、物語の随所で登場する。

また、ニジガクについては現在TVアニメが放映中である。
※アニメは1日時点で5話まで放映されているが、脚本には比較的高評価の声が多い。それと対比する形で今回の20章を批判する人も見受けられたが、アニメについてはスクスタと異なる展開も多いので今回の話からは基本的に外す。

■20章のあらまし

スクスタのストーリーはseason1(TVアニメでいう1クール目)が終わり、season2が始まった。
いま荒れている20章はseason2の1章目にあたる。
20章のあらすじをざっくりまとめると、

・(19章の終了時点で次回予告的に触れられていたが)香港とニューヨークから転校生が来る(香港からはランジュ、NYからはミア)。
・ランジュは圧倒的なボーカルとダンスの実力を持っており、ミアは天才的な作曲能力を持つ。なおミアは再生曲ランキングに自身作曲の楽曲を30曲(!)も送りこむという、プロの世界で既に圧倒的な実績を残している。
・ランジュは理事長の娘でもある(=学園アニメで往々にしてあるように、圧倒的な権力を持つ)。
・彼女たちはスクールアイドル同好会には入らず、スクールアイドル部を設立。そして部に最高の設備、プロのスタッフを用意。
・同好会のメンバーたちに対してはその実力を認め(といってもこれから鍛えるべき「原石」としての評価)、部への参加を要請。
・一方で同好会の存在は許可せず、部に入らない場合は活動禁止に
・そのため、同好会のメンバーたち(9人いる)は部に入るか、誘いを断るかで意見が分かれる。3人が部に入り、6人は同好会へ残る選択をとる
・部は完全な実力主義で、現状は圧倒的な実力を持つ香港が単独センターを務める。他の部員はバックダンサーとなり、歌うことはない(ただし、実力を伸ばしてポジションを得ることは可能な模様)
・断って同好会に残った6人は活動を禁止され、監視委員会なるもので見張られる。練習をしようものなら即駆け付けられてアウト

【↑この状況になった段階で主人公の「あなた」が海外への短期留学から帰ってくる】
・「あなた」はランジュ&ミアと面会するも、これまでやってきた楽曲作りの役割を否定される(部の曲は前述した通りミアとプロがつくるため
・他のメンバーとの仲介役としての役割は期待されており、彼女たちを部に連れてこいと言われる
・同好会のメンバーたちは「あなた」を中心にまとまり、地道に活動をしていこうと悪戦苦闘するも・・・

以上が20章のあらましとなっている。

■なぜ荒れているのか?

上記の実際にプレイしていない方には感触がわからないと思うが、なぜ荒れているのか?
実際にプレイした所感と、SNSやまとめサイトなどでざっと見た声などから、ユーザーの怒り・悲しみの要因を考えていきたい。

0)ランジュ/ミアのキャラとしての魅力が乏しい
大前提として、単純なキャラ周りの話は重要である。なお、これ自体が荒れる理由というよりは、後述する諸要因にかかわってくる事項である。
ここでいう魅力とは脚本的な掘り下げではなく、純粋な「見た目」の問題。ぶっちゃけ、香港が可愛い(あるいは美人)であれば、叩かれるにしてもこれほどの事態にはならなかったように思う。
事実、season1での「敵役」とも言える栞子というキャラ(ネタバレで申し訳ないが、最終的に仲間になる)は造形の可愛さや時折見せる行動のしおらしさによって緩和されていた側面は大きい。要は「どんな糞ムーブしてもキャラが可愛かったらある程度許されるよね」という話だ。

だがランジュ(ミアは作曲家であり、今のところスクールアイドルとしては活動していないので一旦除く)については、個人的な意見だが顔・衣装などなどに正直言ってあまり魅力を感じない。「可愛げがない」だけではなく「可愛くない」。
可愛いという言葉がよくなければ、「カッコいい」でもよい(彼女はそうした方向性のキャラのように見える)のだが、それにも欠けている。SNSの大意もそんな感じだ(もちろん異論はあると思う)。
また、いわゆる「~~アル」っぽい言葉遣いをする、王道から外れた「典型的なトリッキーキャラ(言葉としては矛盾しているが…)」であることも災いしているように思う。

※これは余談だが、3次元と異なり2次元の難しいところで、そのキャラクターが他者と比較して圧倒的な実力/魅力を持っていることを言葉以外で示すのが難しい。他のキャラのセリフで「ランジュのパフォーマンスはすごい」と書くしかない。スクスタでは異例のMVを挟む構成をとっているが、「そりゃ悪手だろ蟻んこ」状態。ランジュの動きだけ他のキャラより滑らかにする、とかできないでしょう(他のキャラのクオリティを下げるやり方はありえるかもしれないが、誰もそれは望まない)。
ランジュ(とミア)の実力が「圧倒的」であるがゆえに周りも納得せざるをえない、というのが20章の前提となっているのだが、スクスタ内のキャラと違ってユーザーはランジュに「圧倒」されているわけではないので、納得感がわかない。これが3次元の欅坂46であれば「言うても平手友梨奈は圧倒的だしな…」という会話が成立する。

1)今後の展開に対する不安(とある程度それが読めてしまうことによる嫌悪感)
栞子が仲間になったこれまでの展開や、その他諸々の情報(例えばゲーム画面の空きスペースなど)からして、ランジュ&ミアも仲間になる可能性が高い(もしくはA-RISEやSaint Snowのようなライバルポジションになる可能性もあり得る)。が、いずれにせよ、彼女たちに対する現状の印象が悪すぎるため、今後のストーリーに絡んでくるのに耐えられない。また仮に仲間になったとしても、こんなキャラの人気が出ることはないのでは?そうなったら演じている声優さんもかわいそう。

2)怒涛の新キャララッシュへの疲弊と虚無感
栞子が入って彼女がまだそれほど馴染んでいない段階で、さらに2人も新キャラが出てくるのは展開が唐突すぎる印象を抱く人もいるだろう(ちなみにラブライブ!は高校1~3年生に各3人ずつの9人グループがお約束であり、栞子が加入して10人になったことはそこそこ驚きの展開だった)。しかも「他者への価値観の押し付け」という、season1で栞子が行っていたことの繰り返しを見させられるのは苦しい。
後述するように、ニジガクに関してはこれまのμ'sやAqoursとは異なる、より複雑な「問い」を投げかけてくるコンテンツだと思っている。そういうものを作りたい考えは理解できるし、それ自体は悪くない。ただ、その「問い」を設計する手段が転入生の登場、というのは栞子の登場時と展開に大差がなく、筋が悪いように感じる(逆に言えば、新キャラはニジガクの9人を「試す」ための装置として消費されるだけ?それはそれでかわいそうになってくる)。

3)ヒエラルキー構造への反発
「チームとしてひとつになる」ことへ主眼が置かれたμ'sやAqoursとは異なり、ニジガクは「9人がそれぞれソロとして個々の魅力を発揮する」ことを重要なコンセプトに設けている。そういうニジガクだからこそ、部の中で(たとえ一時的かもしれないにせよ)バックダンサーという役割を担わされていることに対して嫌悪感を抱く人は多いと思われる。
※バックダンサーという「役割」を貶める気はなく、センターより明確に「序列」の低い存在として扱われていることが問題である(仮に、自らの個性としてその役割を主体的に選んだのであれば全く問題ない)。

4)ユーザーが愛情を抱くキャラがぞんざいに扱われていることへの悲しみ/怒り
20章の冒頭は、ジャンプのバトル漫画でよくある、インフレした新キャラにこれまでの強キャラがボコられる(たいていは一瞬で無残に倒される)シーンに近い感覚である。しかも「強さ」という明確な指標のあるバトル漫画ならともかく、スクールアイドルという領域でそうした表現をするのはかなり賛否が分かれると思う。
各キャラの掘り下げがまだ充分にされているとは言い難い中で、彼女たちの能力を貶めるかのような展開は、ユーザーによっては耐え難いのでは(特に推しキャラがそうなっている場合)。

5)「スクールアイドル」というコンテンツで上記の展開を行うことのミスマッチ感
「スクール」アイドル(=アマチュア)でこうした弱肉強食的行為をあからさまに行う(その価値観を是とする)ことへの忌避感がある。例えば作曲家の子などは、プロとして活動を続ければよくないだろうか?プロのスタッフを雇うことも「チート」と捉える人は多いだろう。

ラブライブ!の世界ではスクールアイドルは部活動の一種であり、例えるなら甲子園を目指す高校球児のようなものだ。そこにプロの実力や資本が入ってくるのをよろしくないと感じるのは至極当然の発想。
※これは作品世界の作り込みの問題だが、例えば高野連のような組織がルールを設定していたりしないのだろうか?例えば「楽曲、衣装の制作は学生によってのみ行うこと(大人は指導の範囲であればOK)」みたいな。

また、(スクール)「アイドル」という、AKBなどに象徴される「ヘタウマ文化」の成熟したジャンルに純粋なクオリティの優劣という視点を持ち出すのは、そぐわない話ではないか。陸上や重量挙げなら直線的に優劣を測ることができるが、アイドルの良し悪しがそう単純な話ではないことは、あまり詳しくない自分ですら想像に難くない。

※ただ、ランジュに対する「うまいしすごい。でもコレジャナイ・・・(大意)」という「あなた」をはじめとした幾人のコメントからするに、このテーマは後々回収されると思われる。おそらく、アイドルグループにとっての多様性とは何か、標準化(均一化)されたクオリティ/パフォーマンスと多様性の折り合いをどうつけていくのか、という射程まで拡げた物語を展開してくれるのではないだろうか(というか、それをやってほしい)。欅坂46平手友梨奈という圧倒的センタ―の存在で成り立っていた(正直あまり詳しくないので違っていたらすみません)ことなどを想起させる。
※とはいえ、それは「スクールアイドル」「ラブライブ!」という装置を使ってやることなのか?もっと日常寄りのハッピーな話を盛り込んでくれ!といった意見は消えないとは思うが。

■個人的な評価
・テーマ性を追求することは肯定的に評価したい。
・それを「ラブライブ!」という人気コンテンツでやることも、個人的には肯定的。大袈裟な話ではあるが、クリストファー・ノーランの大傑作『ダークナイト』もそうやって生まれたわけだし。
・ただ、やるならキャラ造形、脚本の掘り下げなどをより丁寧に行うことができたのではないか?少なくとも新キャラがヘイトを溜める必要があったとは思えない。
・配信のタイミングも事態をより難しくしている。スマホゲームという制約上、1か月に1章(アニメでいうと1~2話程度)単位の配信ペースになってしまうため、その間はストーリーがまったく進展しない。一方でスレッドは日々立てられていき、モヤモヤ感や悪印象は増幅される一方だ。1か月後に香港やNYの株をあげるエピソードが入ってきたとしても、今回作られたイメージが拭われることは難しい気もしてしまう。これが例えば映画のように初めからオチまで一気に見る形であれば、もう少し評価は変わるのかもしれない。

■最後に
・ここまで書いておいてあれだが、制作側はユーザーの声に過剰に耳を傾けないででほしい。変にユーザー目線を取り入れて脚本が混乱することほど最悪なパターンはない。
・今までの「ラブライブ!」の「正統後継者」でないことは最初から明白だし、それは私の大好きなファイナルファンタジーをはじめ、ナンバリングタイトルでは必然的に起きる「進化」なので好ましいと考える。予定調和的に終わるよりははるかにマシ。
・繰り返しになるが(詰め込み方のバランス感覚は重要だが)より複雑で正解のない問いを盛り込むことはよいと思う。
・その結果名作が生まれようと駄作が生まれようと、ユーザーはただ甘受するのみである。

ブラッククランズマンの感想

ブラッククランズマン 感想

 


スパイクリーって感じの映画。ラストのノンフィクションへの反転のさせかたとか。

 


アダムドライバーやはり好き。心理が読めない間抜けキャラやってる方が好きだけど。

 


kkkを馬鹿にするのは面白いけど、彼らをコケにしても問題は解決しないのでは。私たちには響いても、彼らのプライドを傷つけるだけでむしろ過激に走られてしまい、インクルージョンはできないのでは(ネトウヨもそう)

もちろんそれを見て、過激になる手前だった人たちは「こいつらダセーな」と冷めることも期待できるが、そうでなく「攻撃されてる!あいつらは酷い!」となる人もいるのでは?

(だからといってコケにしたくなるのは自分も同感だから難しい。この映画の価値は充分にあると思うし)

 


リベラルとは基本的に人間の理性をより重んじる姿勢を指すと個人的には捉えているが、そうであるならざ彼らに理性が欠けている(彼らなりにある意味での理性はあるのだと思うが)ことを嘲笑うよりも、いかに彼らに理性を身につけさせるないしは取り戻させるかを考えるべきなのでは。

 


それとも、どこかの段階でそれは諦めてユーモアでコケにする方が良いのか?20代なまだしも40代を過ぎたいい大人はもう救いようはないのか?

そもそも、それを見て快哉を叫ぶのはそもそも堕ちていかないでこちら側にいる人では?包摂されない人をどう共同体に拾うかという、現代社会の最も大きな問題だが、、、

 


本当の本気で彼(女)らを救いたい!と思う時、どうするのが最善手なのか。論理も煽りも厳しいと思う。津田さんが研究結果出してたけど、ナラティブな語りが必要だし、よりこうかてきなのはひたすら言い分を聞くことと、その人の側にいることでは。その点で宮台先生の話は面白いが、それで救えるのは宮台ゼミの学生だけ。本来はコストがデカすぎるから社会全体で負担しなければならない(それこそ介護問題などと近い構造)。

まあぶっちゃけ、そういう人を相手にするのは面倒なわけで、誰がその役目を担うのかと。学生がネトウヨに走る分には先生が教育という観点でアプローチできるが、いい歳した大人は誰も口出しできんからなあ、、、こうして冒頭の話に戻る。

 


ホワイトパワーとブラックパワーの叫びを対比させるところは良かった、気もするが、どうだろうか?

もしwomenとmenで(男側にそういう団体があるとして(探せばあるだろうけど))同じことが起きたら、女性側は対立構造に落とし込むな、次元が違う!と言いそうだけど(そしてそれは理があるとも思うが)

ブラックパワーってどういう次元の概念で叫んでいたのか、思想的な歴史を知らないからあのシーンが良いか悪いか判断しかねる

 


結局、誰が(どの組織が)ある集団においてキモくて感じの悪い人を救うかってことなんだよな。

 


見えすぎる、繋がりすぎる世界は恐ろしいな。やはり知らぬが仏だ。モテの問題でみたてらさんも書いてたが。

とはいえそれが加速する(やがてはレーティング(それも相対評価))時代をどう生きるかという課題。個人レベルでの最適解は分断を加速させるから、社会レベルでの最適解ではない(はず)。

分断しても構わない社会を構築するか、分断をある範囲に、無理のない程度に押し込める社会を構築するか。大雑把に言えば前者はすばらしい新世界へ行きつく?一応後者を望みたいところだが、それはなぜだろうか?インセンティブの問題か倫理的な問題か、、、

そもそも、なぜ私たちは(繋がりたいと思わない人とも)繋がらなければならないのか?これを言い出されたら論理的には答えづらいな。このロジックで積極的に共同体から逃れる人間へどう対応すれば良いのか。。

2017年に読んで面白かった本その① 死してなお踊れ: 一遍上人伝(栗原康)

 2017年は以前にも増してたくさん面白い本を読んで、新しい書き手と出会えて楽しかった。

 出版産業の構造不況とか十何年も言われていて、この状況が(加速的に悪化することはあるにせよ)止まることはないと思うが、目の前に面白いコンテンツがうまれ続けていることもまた事実であるのだから、日々大切に愛でていきたい。

 (そもそも自分としては出版業がビジネスとしてどうなるか、ということにイマイチ関心がない。その理由については今後書くつもり。)

 という訳で、2017年に読んでとりわけ面白いなーと感激した本を10冊あげてみる。10冊分書いてみたら結構長くなってしまったので、ひとつずつ。

 

①死してなお踊れ: 一遍上人

https://www.amazon.co.jp/%E6%AD%BB%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%AA%E3%81%8A%E8%B8%8A%E3%82%8C-%E4%B8%80%E9%81%8D%E4%B8%8A%E4%BA%BA%E4%BC%9D-%E6%A0%97%E5%8E%9F-%E5%BA%B7/dp/4309247911/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1514979185&sr=1-1&keywords=%E6%AD%BB%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%AA%E3%81%8A%E8%B8%8A%E3%82%8C

 

 「踊り念仏」を世に広めた一遍上人というお坊さんの生涯を通じて自由と支配について綴られる、栗原節が冴えわたった「最高にロック」な一冊。

 一遍上人とか誰だよ?と思うかもしれないが、知らなくても全く問題ない(自分も恥ずかしながらこの本を読むまであまりよく知らなかった)。

 栗原康の独特な文体を通じて顕れてくる一遍上人がカッコよすぎてヤバい。武家社会の鎌倉時代に「男も女も貧乏人もハンセン病患者も関係なく、みんなで踊ろうぜ!そしたら幸せじゃん!」と言っているのだから相当ヤバい(褒めてる)。ロックンロールに別の名前をつけるなら、チャック・ベリーじゃなくて一遍上人なのかもしれない、というくらい「最高にロック」。

 

 そして栗原康といえば、文体が非常に特徴的である。

 

 おどっちゃいなよ、食っちゃいなよ。みんなで食らって、死ぬ気でおどれ。フオオオ、フオオオオオオ。ごっちゃごちゃの、ぐっちゃぐちゃになって、ケダモノみたいにおどってしまえ。そうすりゃ身分もかっこうも関係ない。そんなのすぐに消えさってしまう。だれもかれもがケダモノだ。(p173-174)

 

 これ本当に学者さんが書いたの!?と面食らう「初見殺し」の文体なのだが、いざ読んでみるとめちゃくちゃ「上手な文章」に仕上がっているのである(「上手」とは書き手の言いたい事柄や伝えたい感情が素直に読者へ伝わる、という意味)。

 これは当然だが多くの文献を消化しているからこそ、可能な芸当だと思う。「守破離」でいうところの「離」であるから、普通の人間はこの文体でスムーズに書くことはできない。栗原さんは学者であると同時に詩人である。他にも例えば「我々は圧倒的に間違える。」「壊してさわいで燃やしてあばれろ。」といった言葉の一つ一つにものすごいキレを感じられる。

 この『死してなお踊れ』は、栗原さんの著作の中では最もストレートに「アナーキズムらしさ」が感じられる本だと思う。「一丸となってバラバラに生きろ」という作中の言葉は、今の時代だからこそ響く言葉ではないだろうか。

 踊りながら念仏を唱えるという日常の動きからは離れた「無駄な動き」をすること。それはすなわち私たちが囚われている「有用性のくびき」から逃れることである。「圧倒的にまちがえる」ことから我々の道は開けるのだ。

 

余談1.大学の卒論でサッカーの歴史について書いた際、足の動きは生活に最も関係ないからこそ逆説的に遊戯としての可能性が開かれていたのではないか、的な論を展開したのだが(寺山修司が『書を捨てよ、旅に出よう』で似たようなことを書いていると後から知った)、踊り念仏の「無駄な動き」はそれに通じる「遊戯」である気がする。

 

余談2.ジョジョ5部でブチャラティがボスに対して「吐き気をもよおす『邪悪』とはッ!なにも知らぬ無知なる者を利用する事だ…!!自分の利益だけのために利用する事だ…」という名セリフを吐いているが、新自由主義に関する言説を読むと(この本は基本的に評伝であるのだが、そういう読み方もできてしまう)、それに近い感覚を覚える。そういう「邪悪」が少しでもなくなってほしい。

2016年の面白かった本

【フィクション編】

◆特別賞◆『君を嫌いな奴はクズだよ』木下龍也
作家の道尾秀介さんがオススメしていた歌集。「目の付け所が面白いな~」と思わず唸る俳句が集まっています。日常風景はもちろん、アニメ、タレント、戦争まで何でも題材にしているのがすごい。

たとえばこんな感じ。

あの虹を無視したら撃てあの虹に立ち止まったら撃つなゴジラ
ぼくたちが核ミサイルを見上げる日どうせ死ぬのに後ずさりして
もうずっと泣いてる空を癒そうとあなたが選ぶ花柄の傘

本当は紙で読みたいところだけれど、Kindle Unlimitedでも読めてしまう。

◆3位◆『コンビニ人間』村田沙耶香
作品の内容もその売れ方も、時代を象徴している小説。個人的にはここ10年の芥川賞で最も素直に「面白い!」と言える作品だと思います。売れているし手を出しやすいと思うので是非。特に「SNS世代」の自覚がある人には刺さるはず。

◆2位◆『蜜蜂と遠雷』恩田陸
日本で開催される国際ピアノコンクールを舞台に「努力と才能」「凡人と天才」「芸術と商業」といった矛盾するテーマを描いている。作中のほとんどをピアニストの演奏とそれに対する感想が占めているけど、その密度とリアリティが凄まじすぎて、実在するコンクールのノンフィクションなのか?と思うほど。500ページ超(しかもこのご時世に二段組!)という驚愕のボリュームを誇る作品だけれど、恩田陸の筆力がこれで
もか!と込められているのでアッサリ読み終えてしまいます。あと、表紙やカバーがとても良くて、部屋に飾るだけでもなんかオシャレ。

◆1位◆『リリース』古谷田奈月
同性愛者がマジョリティとなったディストピアで、異性愛者のテロリストたちが「精子バンク」を襲撃する物語。これは、紛うことなき天才による作品です。「天才」というもはや陳腐になった言葉でしか、彼女の小説を表す術はありません。翻訳調の独特な文体に共感覚のような比喩、シニカルな言い回し。小説という媒体でしか表現できない
魅力が詰まっています。好き嫌いがハッキリでるタイプの作家ですが、この人をスターにできないなら出版業界は滅んでも仕方ないくらいです。


【ノンフィクション編】

◆特別賞◆『間違ったサブカルで「マウンティング」してくるすべてのクズどもに』ロマン優光
「サブカル」「オタク」といったワードが混在してグチャグチャに使われている時代ですが、そんなモヤモヤを解きほぐしてくれるエッセイのようなものです。吉田豪に対する分析なんかはその通りだよな~となります。

◆3位◆『日本会議の研究』菅野完
2016年最も話題を巻き起こした新書。この本が誕生してヒットするまでの過程も、時代を象徴しています。
謎の組織と思われていた「日本会議」についてものすごく丁寧に調べられており、まさに「研究」と呼ぶにふさわしいし、読み物としても面白いです。

◆2位◆『欧州複合危機』遠藤乾
経済危機や難民問題などに直面する現在の欧州で、何が起きているのか?知りたい人はとりあえず読んでみるべき一冊。課題の本質がコンパクトにまとまっています。『イスラーム国の衝撃』などに連なる、大人の教養としての新書。

◆1位◆『「その日暮らし」の人類学』小川さやか
タンザニアの行商人たちの経済活動を題材に、「もう一つの資本主義」を映し出すルポ的な本。周りから金を借りまくったり中国でコピー商品を買い付けたりといった、ダイナミックで破天荒な行商人たち(とそれに付き合う著者)の面白さと、学術的な分析とが絶妙にかみ合った良書です。

 

映画の感想:『シン・ゴジラ』『葛城事件』

シン・ゴジラは面白かった。現代ビジネスの記事が一番よくまとまっていると思う。

ゴジラ原発(震災)in東京

・最後は「破壊」「終息」できずに「共存」する運命

・市井の人々や主要キャラの家族などミクロの話は一切展開されず、国の中枢の意思決定が中心となる

・字幕の使い方は昔の特撮や『日本沈没』へのオマージュ+エヴァ的な演出

博士の消息や石原さとみの迷走キャラなどが突っ込みどころかな。

 

葛城事件は個人的には、正直笑えない。三浦友和を中心に、あの一家の演技はヤバかった。狂言回しの田中麗菜はてっきり被害者遺族とかなのかなと深読みしてたが、最後まで不明のまま終わって違和感。まあ遺族だとしたらご都合主義と言えてしまうのかもしれないが、全く説明無いのはなあ・・・。ああいう人って普通にいるものとしてスルー出来るのか?にしてはストーリーに深く入り込み過ぎじゃないか。まあ全体としては面白かったんだけど。

2016年上半期直木賞寸評

あくまで「候補作の」「クオリティだけを」評価するならば

荻原浩伊東潤原田マハ>門井慶喜>>壁>>米澤穂信湊かなえ
って感じかなあ。正直、荻原さんが受賞するとは思っていなかった・・・笑


荻原浩『海の見える理髪店』:巻頭の表題作『海の見える理髪店』と、真ん中あたりにある『空は今日もスカイ』が素晴らしい。他は飛びぬけて面白くはないけれど、大外れのものはなく、よくできてはいる。得意技である寂れた中年男性から、新婚夫婦や小学3年生の女の子までをすべて1人称で書ける点は本当にすごいと思う。ただ、それに加えて短編集という作品の性質上、小説に対してではなく荻原さんという作家に対しての賞であることは間違いない。

伊東潤『天下人の茶』:伊東さんが千利休を題材にするという時点で、期待値が高くなってしまった気がする。話自体は千利休を軸とした連作短編で非常に面白いのだが、題材に対してやや小粒感が否めない。数年前に『利休にたずねよ』が受賞していることもマイナス材料だったかと。もっと練り込んだ大作にしてほしかったなあ(それができる作家なだけに)。

原田マハ『暗幕のゲルニカ』:間違いなく候補作の中で一番の「大作」である。他が短編集ばかりというのもあるが。
ピカソゲルニカを扱っているだけに、著者の中でも相当な意気込みがあったに違いない。この人にしか書けないテーマだし、メッセージ性も明確。(個人的にはそれらの点を考慮して、今回は原田さんが受賞すると予想していた)
しかし、ストーリーがあまりに一直線すぎる。あとは、文章やキャラクターのスノッブでソフィスティケートされた感じが鼻につく人もいるだろうな。
個人的には、フィクションっぽさがぬぐえなかった。伝えたいメッセージが先にあるせいで、設定や展開がご都合主義になっている気がする。そのためか、物語にリアリティを感じにくい。良い作品だがエンタテインメントとしては評価が低くなる。まあ、この作家の性質上、本屋大賞とかの方が向いているような。


門井慶喜『家康、江戸を建てる』:選評でも言われていたが、まさに時代小説版『プロジェクトX』って感じ。着眼点は面白いし文章もカタカナ語を取り入れている点などは個人的に高評価なのだが、いかんせんストーリーが単調。要約すればすべて「いろいろ大変で時間かかったけど、頑張ったぜ~」みたいな。カタルシスがない。


米澤穂信『真実の10メートル手前』:『ナイフを失われた思い出の中に』はなかなかよかった。『名を刻む死』も悪くはない。ただ、他は読む価値ない。片手間に軽~く書いた短編集って感じ。ミステリ要素は基本的にない。


湊かなえ『ポイズンドーター・ホーリーマザー』:「とりあえずイヤミス書けばいいんでしょ?」っていう雑な感じがぬぐえなかった。そこに最近話題の「毒親」をかけ算すればいいと。湊かなえの全ての作品に言えることだが、社会性やテーマ性が欠片もない。もちろんそんなものなくたって面白ければ良いのだが、どうしても作品としての薄っぺらさが目に付いてしまう。少しは良い所を探すとするならば…『優しい人』の主人公のキャラクターは結構共感できる。

 

 

映画の感想:『スポットライト』

 

邦題は『スポットライト~世紀のスクープ~』なのだが、『SPOTLIGHT』だけの方がシンプルでカッコいいよね。『レヴェナント~蘇りし者~』も、素直に『REVENANT』となっている方が良い。まあ、それだと売れないんだろうけど…。

 

本格社会派ドラマで、アカデミー賞うけの良さそうな作品だった。

特別な仕掛け(例えば登場人物に不幸な過去を背負わせて当事者性を帯びさせるなど)によりドラマチックにしようという意図がなく、仕事自体は淡々と進められていったのが良かった。実話に基づいているから下手な改変はやりにくいってのもあるが。端折ってる部分はあれど、編集会議とかは割とリアル。

ただ、終盤にかけて徐々に各人の熱いハートが見え始め、人間ドラマの体をなしてくる。ただ、「プロとして抑えていた部分が限界を超えてにじみ出てきている感」が伝わるので、派手な言葉ではなくともかえって心に響いた。スクープの先送りが決まってブチ切れるシーンだったり、記事の公表を止めようとしてくる弁護士や枢機卿とのやり取りだったり。

特に、クリスマスの聖歌をBGMにして皆が作業に打ち込むシーンは思わず泣きそうになった。仕事ってこういうことなんすよね・・・!

 

『ナイトクローラー』がテン年代以降のリアルを映し出した作品だとすれば、『スポットライト』は今の時代にも受け継がれなければならない、ジャーナリズムの「本気」を描いた作品だと思う。タイプは全く異なるが、質の高い映画だった。レイチェル・マクアダムスかわいい。37才には見えんw