メモ帳

千葉の田舎で生まれ、東京の出版社で働いている20代。ノンフィクションを中心に、読んだ本や観た映画についてのメモ代わりに書いています。

映画の感想:『博士と彼女のセオリー』

フェリシティ・ジョーンズが可愛すぎる。以上。

映画はやっぱり劇場で観てこそだなあ、としみじみ思う。単なるストーリーだけならDVDでも拾えるけど、劇場だから集中できるし伝わるものがある。いわゆるアウラってやつですね。なんでも電子化!って人は映画館で映画を観ることも否定するのだろうか?

まあ本などと比べて、映画は受容環境に左右されがちなコンテンツではある。正直どんな名作でも、家で観た時は感動が薄れてしまう気がする。


まあ、ホーキングの生涯という素材そのものが最高に映画受けするからなー。ビューティフルマインドに近いものがある。あっちは気狂いでこっちは病気。

ストーリーに少し触れると、離婚のくだりまで描き切っているのは良い。かなり抑えられた表現だったが、感情のひだのようなものを丹念に追っているから二人の愛情、恋愛を超えた次元でのそれが伝わる。これ以上の円満離婚は描けない。

まとめると、フェリシティ・ジョーンズの可愛さが大気圏突破しているのと、エディ・レッドメインの眼の動きsugeee!って感じ。

フットボール観戦記:マンチェスター・シティvsセビージャ

3,4節はグループ全体の行方を占う試合が多く組まれている。「死の組」でおそらく2位争いをするだろうクラブの直接対決。

ほぼ互角の戦い。もう少しシティが押し込んでセビージャがカウンターって感じかなと思っていたのだが…。アグエロ&シルバの飛車角落ちとはいえ、もう少しやってくれないと。

セビージャが試合の入りから好プレイを見せていたコンプリャンカのゴールで先制。崩しの局面でもセットプレーでも、得点の予感が大分あったからね。ヴィトロのマイナスの折り返しが光っていた。

一方シティも、ヤヤのPA内での突破の流れから最後はラミのOGで同点。ヤヤという「個」の力につきる。

その後は両者がっぷり四つの組合い…なのだが、どうもシティはいつもの破壊力に陰りが見える。プレミアのザル守備とCLじゃわけが違うのはわかっているはずなのだが。

 

セビージャの攻撃はサイドがメイン。シンプルだけどドリブルとパス、クロスと選択肢が豊富で絡む選手も多いから、シティとしては迂闊にボールを取りに行けない。コノプリャンカのアルシャビンっぽさ。特に、左サイドのボールタッチにそれが感じられる。

ガメイロがPAの角辺りに流れるのは、オタメンディとのミスマッチをつくるため。普通に縦のクサビを入れても、オタメンディ(&マンガラ)は最強の「潰し屋」だから勝ち目は薄い。そこで、横に流れてアジリティで勝負したいのだろう。

セビージャはシティが前プレ来ないことにより、困ったら後ろで落ち着いてポゼッションを回復できる。これにより、かなり試合がやりやすかったと思う。

まあ、シティは前線からのプレスが上手くないからな。そもそも、そういうプレイをする試合がほぼないから、慣れていない。昨シーズンもバルサ戦でそれをやろうとして、中途半端に終わっている。「プレミア仕様」以外に、戦い方の幅を持っていないのだ。一つの戦い方しかできないことは、CLレベルでは本当に致命的なんだけどなあ。ペジェグリーニにそれを改善する気はないようで。(ある意味、ベンゲル以上の理想主義者である。)
アーセナルがコクランに頼っているように、シティもフェルナンジーニョに中盤のフィルターを一任している。(それでいて攻撃にも顔を出せるなんてバケモノ!)
でもいい加減、全体での守備戦術を覚えないと欧州では勝てないよ。

また、攻撃面で気になるのは、2列目のデブライネとスターリングのスタートポジション。(左と中央)、入れ替わった方が良いのでは?カウンターでスターリングのパスからデブライネのシュート、というシーンがあったが、これは本来の役割とは反対だと思う。

アグエロ&シルバがいないシティは、段々とデブライネにボールを集めるようになる。確かにこのメンバーの中で最もポイントフォワード的な役割ができるのは、デブライネだろう。シンプルで効果的なプレイが多く、ヤヤと彼のコンビネーションからは崩しの匂いが漂う。

一方、スターリングとボニーは消えてしまっている。デブライネという「起点」を作るために彼を左に置くのはありだが、全体の連動を考えるとやはりスターリングとポジションを入れ替えた方が。。。デブライネとシルバのプレースタイルは確かに異なるが、彼にはまた違った「シルバロール」ができるはず。「間受け」のポジショニングができるのがシルバを除くと彼くらいだし。

スターリングはもらってからの反転は速いのだが、そもそものボールをもらう動きが上手くない。まだまだサイドプレイヤーのそれである。それもあって、後半は完全に消えていた。

策としてはスターリングを左サイドに置き、ヤヤ&デブライネが縦横無尽に動くことにより左側で数的優位を作りたい。(本来ならアグエロもここに絡むのだが。ボニーにその動きは難しい)
また、そうするなら左SBはコラロフの方がベター。サニャだと攻撃力が落ちるし、何より右足に持ち直してからのプレイになる(左足だと精度が大分落ちる)からテンポが悪い。

と思っていたら、サバレタoutコラロフin。さらに、スターリングとデブライネの位置も入れ替え。これでスターリングに本来の輝きが戻り、シティにリズムが生まれる。やはり左のスターリングーコラロフの縦関係がシティにとっては重要である。

さらにさらにボニーoutフェルナンドin。ペジェグリーニはついにボニーに見切りをつけたか?まあ今日の出来を見ればねえ。 ユベントス戦を含め、調子うんぬんではなくクオリティに問題があると言わざるを得ない。来年あたりには、プレミア中位にクラブに放出されてるんじゃないかな。

これでシティはヤヤがトップ下でデブライネの0トップ。まあボニーを引きずるよりかは、ぶっつけでもこの布陣の方が可能性はある。


で、このまま引き分けかなと思っていた後半ロスタイム、カウンター合戦からシティがデブライネのゴールで逆転。ここもヤヤ、デブライネという「個」の力でもぎ取った。

そのままタイムアップでシティが勝利。

 

セビージャとしては正直内容で上回っていただけに、もったいなさすぎる!アウェイだし勝ち点でも並んでいるのだから、無理して攻める必要はなかったはず。最後に欲が出て前がかりになった所をやられた。なまじ自分たちが良い試合をしていただけに、シティの怖さを過小評価してしまったのかもしれない。あれだけ簡単にPA内まで運ばれたら、そりゃあゴール決められても仕方ない。向こうにはウン十億の選手ばかりなわけで。


エメリは75分過ぎてからのゲームコントロールを誤った。結果論と言われるかもしれないが、相手の強さと勝ち点の状況、自軍の疲れなど様々なファクターを考慮すると、あの戦い方は導き出されないはずだ。冷静狡猾なセビージャというチーム、エメリという監督だからこそ大人の対応を見せてほしかった。

(確かに今日の内容なら勝ち越せた可能性もあるが、それなら終盤に動きの落ちていたガメイロを下げてジョレンテを投入するべきだった。)

本当に、悔やんでも悔やみきれない敗戦。デブライネの左足がグループの雌雄を決する1点になったかもしれない。

 

結局、内容が冴えなかった方が「個」の力で2点を辛うじてもぎ取った。前節のバルサvsレーバークーゼンを思い出してしまう展開。これが良くも悪くもフットボールというスポーツだし、近年は特にそれが顕著である。

 

 

追記:クリホビアクのインテリヤクザ感。あと、実況も間違えていたけど、コノプリャンカとガメイロが似ている。笑

 

フットボール観戦記:ナポリvsフィオレンティーナ

今節の主要リーグで最大の注目カード。個人的にはナポリの方に可能性を感じている。ヴィオラは「綺麗」だけど「えげつなさ」にどうしても欠けている。ナポリの方がクオリティだけでなく、最後に決めきる強さがある。要はそれがタレント力ってやつなのかもしれないが。


サッリはボランチのポジションを、愛弟子のヴァルディフィオーリではなくジョルジーニョで固定し始めているね。確かに昨シーズンのと比べて良さが目だっている。ベニテスはセンター2枚を決められなくて苦労していた印象があるから(まあ本人のせいだが)、早めにここを抑えるのは大事。

ナポリはインシーニェの立ち位置次第でダイアモンド型の4-3-1-2あるいはツリー型の4-3-2-1とも取れる。左から中央にかけてハムシク・インシーニェ・グラム・イグアインが絡む攻撃は、今のセリエAで一番面白い。一方右にはアランやカジェホンといった走れる選手がオープンスペースを突く。ザックジャパンの様に「左で崩して右で仕留める」って形がベストだろう。(左側だけでフィニッシュまで持っていけてしまうことも多いが)

ハムシクインサイドハーフの位置が一番輝くね。ランパードをよりテクニシャンにした感じ。状況に応じてピボーテ的にもトップ下的にも振る舞えるし、ハードワークもできる。髪型のイカツサとはちがってインテリジェンスのある選手。ナポリの中盤は、それぞれ個性が違って面白い。タイプは違えど、黄金期のミランを思い出させる。

後半開始早々、ナポリハムシクのスルーパスからインシーニェのゴールであっさり先制。前半の息が詰まる展開が嘘のよう。解説の通り、トモヴィッチのポジショニングが悪かった。CBの間を空けすぎて、チェーンが完全に切れていた。インシーニェはあのスルーパスをダイレクトであっさり流し込む当たり、相当調子が良いんだろうな。十八番のコースと言うこともあるが。

その後はナポリが一気呵成に攻め込む。ナポリはムラっ気が強いと言うか、流れ次第でクオリティがかなり変わる。ゴールを決めた後は一気に攻めてくる印象。これがバスケットチームなら相当強いのだが(湘北や九頭高、大栄みたいな感じ)、サッカーは残念ながら「1点」の入りやすさが違う。(内容だけ見たら面白いんだけどね)

ヴィオラは攻め込まれて苦しい展開。バレロは良くも悪くも「丁寧な」選手だから、こういう悪い流れを打開できるタイプではない。多少強引に局面を持っていく選手が必要。と思っていたらイリチッチが投入される。
そこから徐々に流れを互角に戻していったヴィオラが、75分に同点ゴール。イリチッチのスルーパスからカリニッチ。

このゴールに関して、クリバリのプレイには疑問が残る。クリバリは次の局面を予想する、いわゆる「読み」の力が欠けている。間受けしたイリチッチの①左足にボールが通った②半身でゴール側を向いている、ことからカリニッチへの浮き球のスルーパスを読まないと。もちろんパス(とその後のワンタッチシュートも)上手かったが。クリバリは昨シーズンと比べて大分荒削りさは消えてきたが、もっと頭を磨く必要がある。このままだとマンガラ化してしまうぞ。素材が良いだけに、ただのフィジカルモンスターで終わってほしくはない。


1-1に追いつかれて「ナポリっぽいなあ」と思っていたが、直後にイリチッチから高い位置でボールを奪ったイグアインハムシクのリターンから1対1を制して勝ち越し。イグアインはああいうシュートを必ず決める。これぞストライカー。

ヴィオラはその前も立て続けに低い位置で奪われて(しかも決定機を招いて)いたから、もっと慎重になるべきだった。後悔先に立たず。ナポリヴィオラもこういう「もったいない!」ってシーンが多いチームなんだよね。本気でユーベを差し置いて優勝するためには、そういったミスをなくすことが大事。
その後もDFラインからのポゼッションに拘っていたから、ソウザ監督の指示なのだろう。疲れからナポリのプレスに嵌められまくってたけど笑

それでも自らの姿勢を貫き通す姿勢は頑固とも一貫性があるとも捉えられる。そういうチームは嫌いじゃないけどねえ。。。

結局、ナポリが逃げ切って勝利。波に乗ってきた。オフェンスの選手層も厚いし、主力の長期離脱がなければ2位は堅い。ローマと違ってCLに出ない分、負担がだいぶ少ない。(もちろん日程的にはきついが、相手のレベルやストレスが違うはず)

その先のスクデットは、1シーズン通しての「総合力」(選手層、メンタル、チームのまとまり、監督力、フロント・・・etc)が問われるから、まだ答えは出せない。やってるサッカーの内容だけなら今のセリエAで一番強いとは思うけど。

 

(全然関係ないけど、エル・カドゥリの見た目が若干エジルっぽい。)

フットボール観戦記:アーセナルvsマンチェスター・ユナイテッド

きもてぃーーーーーー!相手が嫌いなマンUだから尚更。

ジルーと比較した時にウォルコットを1トップで使うメリットは、何よりもショートカウンターの威力が上がること。エジルらの縦パス一本で決定機へ繋げることが出来る。ボールの引き出し方も上手になってきたし。ユナイテッドのDF陣との相性という意味でも良かった。

チェフは割とすぐにロングボール蹴るのが気になる。相手がプレス来ていないのだから、もっとじらしてもいいような。しかも前線がウォルやサンチェスだから長いボール蹴るメリットは少ない。 

昔のバルサや今のドルのようにDFラインでポゼッションして相手を引き寄せるやり方を真似してもいいと思う。チェフはもしかしてチェルシー時代のやり方が癖になってしみついているのかな?

(こういうやつね↓)

www.nicovideo.jp

 

ラムジーは低い位置でボールを奪われやすい。カソルラは運ぶのも捌くのも超一級だから余程のことがない限りボールを取られない。またコクランはそれなりに上手いし、自分の能力の限界をわきまえてシンプルなプレイに徹する。だが、それに対してラムジーは難しいプレイを選ぶことが多い。それが意外性となって得点に繋がることもあるから一概に悪いとは言えないのだが、ビルドアップでのミスは減らしたい。彼は基本的に3センターのインサイドが適性であって、ボランチではない。その点ではランパードに近い。

映画の感想:『ゼロの未来』

テリー・ギリアム。近未来の街並みの描写はwktkして楽しかった。『時計仕掛けのオレンジ』もそうだけど、やはり映像という形で世界観が可視化されると気持ち良い。

ただ話としては『チャッピー』と同様に、0と1の間をもっと突き詰めてほしかった。なぜ0の定理が必要で、その本質は何か?「世界に答えがないことの証明」は、理由としては曖昧すぎないか?

ただ、ああいう幻想が入り混じった世界観(『マトリックス』や、もっと言えば大好きな『マルホランド・ドライブ』のような)は好き。脚本は微妙だったけど、それ以外は気持ち良い映画だったかな。まあ途中でちょっと寝ちゃったんだけど。

映画の感想:チャッピー

まあ、よくあるSFとしては面白かった。けれど、どうしても気に入らない。

なぜならこの映画は、SFが扱う「魂とは何か」「自我とは何か」という最も重要な問いに応えていない。要は、0と1の間をガン無視しているからだ。

別に正解なんてあるわけないし、皆それをわかった上で、その作品が提出する「仮説」に注目するわけである。

だが『チャッピー』において、自我はあまりにも簡単に扱われる。何の説明もなしにディオンはAIを開発してしまうし、人間の、ロボットの自我はUSBメモリへと抽出されてしまう。精神が身体の束縛を超えるというパターンはSFにおいてお決まりの展開ではあるものの、あそこまで簡単に移動してしまうのは違和感しかない。こんなのありかよ!?って感じ。

 

話の展開上、「人間とロボットの違いは全くない」ということになるが、それならディオンの作ったAIの中身にもう少し焦点を当てる必要がある。タチコマですらもう少しマトモに扱われていたぞ。

チャッピーとは何物なのか?ロボット?それとも人間?彼のAIが「ブラックボックス」と化している限り、この映画は「SF作品」とは呼べない。

また、なぜチャッピーの、ディオンの精神はあんなにも軽く切り離せたのか?結局、自我のキーは何なのか?記憶?これに対してもこの映画は解を提出していない。

 

個人的に「身体を超えた自我」という考え方に最近疑問を抱いていることもあり、なんだか納得のいかない展開だった。SF作るなら、難しくてもそこに応えてくれないと。(ただ、要求が高すぎるのかもしれない。他のSFを自称する作品と比べたら随分マシな方ではある)

また、テーマ性を抜きにした脚本もそこまで面白くはなかった。せめてチャッピーの成長やそれに伴う心情、思考の変化をもっとリアルに描いてくれれば。というか、そちらをメインにしたホームドラマに振り切った方が良かったのでは?

そもそも、2時間の映画でこのテーマに起承転結を与えること自体が難しいわけだし。

 

まあ、ヨハネスブルグの街やギャングの抗争なんかは独特の雰囲気があってよかった。チャッピーがギャングスタになるくだりは結構面白い。

映画の感想:ナイトクローラー

3ヶ月くらい前に観に行った作品。たしかヒューマントラスト渋谷辺りだったような。

激化する報道レースの最前線に立つパパラッチ界を扱った映画で、結論から言うとメチャクチャ面白かった。

すごくざっくり例えるなら『ウルフオブウォールストリート』をサスペンスっぽく暗くした感じ。コメディ要素はないけど、ハラハラはする。ジャンキーな感じが好きな人はハマるはず。

 

この映画はエンターテイメントとしても傑作だったが(特に終盤の展開)、なおかつ「ネット世代」に対する批評性も持ち合わせている点が素晴らしかったと思う。娯楽性と批評性の両立って本当に難しいだろうからね。

特に主演のジェイク・ジレンホールの「ちょっとウザイ感じ」(人を小馬鹿にした態度やすぐ調子に乗る所、事の重大さを感知できない所などの諸々)が、いかにもネット世代(の、しかも勝ち組)を象徴していて面白かった。このキャラクター設定は本当に良くできている。

ネットとテレビがメインだが、メディア批判(ステレオタイプ的な嫌いはあるが)の要素も入っているので関係者は心に刺さるんじゃないかなー。もちろん、根本にあるのは社会そのものの歪みであるという視点も忘れてはいなかったけど。

 

社会批判という視点で捉えると正直そこまでの批評性はないが、ネット世代の象徴化という点ではかなり成功しているように思える。そして、それをネット世代自身が見ても「面白い」を思えるエンターテイメントに仕上げているのが秀逸。(おそらく正確には娯楽性⇒批評性という優先順位だろうけれど)