二流社会人のメモ帳

興味のあることを徒然なるままに独りごちる。

日本文化の女性性と政治の男根主義

メモ書きなので文章に脈絡ないのはあしからず。

三島由紀夫が『不道徳教育講座』というエッセイの中で「爛熟した文化というものは、究極的には女性的表現を取る」と述べていた。成熟した文化は、女性的な態度を取るわけだ。代表的なのが「女々しい」とも言われるフランスでり、日本も割とその部類に入るだろう。中国は王朝ごとに爛熟した女性文化と、その反動としての男根主義を繰り返してきたと言える。辮髪とかね。

さて、ここでもう一つのキーワードとして「男根主義」(マチズモ)があげられる。最近よく見る(そして自分も好きだしよく使う)「反知性主義」と同様にフワっとした定義不足の言葉だが、要は逞しさ・勇敢さ・好戦性といった男性的な精神をアイデンティティとする考え方である。

 

この2つのキーワードを通じて僕が何を言いたいのか。それは、今の安倍政権下の日本では女性文化と男根主義が奇妙な形で両立している、ということである。

 

文化の女性性ということでわかりやすい例は、サブカルチャーゆるキャラである。サブカルチャーとは従来、西洋におけるオペラなどの高級文化に対立する概念として、つまりカウンターカルチャーとして存在していたわけである。だから「サブ」という言葉が付いている。だが現代日本ではもはや、サブカルチャーこそが「カルチャー(文化)」の王道であり、権威を持っていると言ってよい。もちろん貴族文化的なものは残っているが、私たち民衆がそれに触れることは少なく、「人間国宝」というなんとなくスゴイ人たちがいるな~といった記憶を持つだけである。日常で接触する「カルチャー」のほとんどが、漫画や映画やJ-POPといった「サブ」カルチャーであると言っても差支えないはずである。

 

続いて、ゆるキャラも日本文化の女性性を表していると感じる。おそらく「ふなっしー」なんて、アメリカでは絶対に流行らない。あれは「ゆるさ」という文脈の下で機能するキャラクターであり、日本のように単一性=共通了解の高い国民の間でないと評価されにくいだろう。そこにある「余白」は、あくまで日本人のみ理解可能なものである。

このへんの考察はもっと深める必要があるけれど、とにかく「日本文化は女性性が極めて強い」と言える。(他には、サッカーが野球を上回る人気コンテンツとなっていること、特に女性においてそれが顕著であることも一例である。)

少し話がそれるが、日本文化に女性性が強いのはどうしてだろうか。もちろん文化の成熟度という面もあるが、それだけではないはずだ。アメリカは成熟した国だが、日本と比較するとかなり男性的な文化である。

これは、突き詰めると「日本人という民族の持つ身体的特徴」に理由があるのではないか。日本人は多民族と比較して、身長が低く・体重が軽く・幼い顔立ちをしている人が多い(特に女性)・筋力は低いが敏捷性が高いといった特徴を持つ。(世界的にどうかはわからないが、少なくとも欧米系の民族と比較した場合)

そんな単純な話なの?と思うかもしれないが、真理はシンプルなものであってもおかしくない。ジャレド・ダイアモンドだってヨーロッパ文化の優位性を「大陸が縦ではなく横に拡がっていたから」って言っているわけだし(笑)

なんで僕がこの考えに辿りついたか…それは、僕自身が日本人の中でもとりわけ上記の特徴を兼ね備えていたからである。つまり背が低くすばしっこく、幼い顔で…という感じである。

このような身体的特徴を持った人間は、必然的に男根主義がら遠ざかり、女性的な部分に価値を置く。例えばサッカーでは相手を粉砕するパワーよりも、華麗なテクニックや相手を騙す敏捷性などに「美」を見出すわけである。これは自分だけでなく、ニュースなどを見てもそうである。 スポーツだけでなく、kawaii文化なんてその最たる例だしね。

さらに、地理的にも極東の小さな島国という、大陸と対比した存在として考えると女性的な文化に行きつくのは必然であると言える。

 

 

以上が、gdgdだが日本文化の持つ女性性についての考察である。

 

さて、続いてはこの「日本文化の女性性」に対する「安倍政権男根主義」を考えてみようと思う。

そもそも政治とは権力の分配機能であり、権力という「パワー」が関わる所では必然的に男根主義的思想が発生するともいえる。ただ、それを差し引いても現在の安倍政権は戦後日本の中でも極めて男根主義的だ。それは、様々な法案改正から見える国家ビジョンを想像すれば、容易に理解できるだろう。

もちろん、「男根主義=悪」というわけではない。男根主義帝国とも言えるアメリカにだって良い所はたくさんあるわけだし、個人レベルで言ってもそのような性格の人が悪いわけではない。良い面も悪い面もあるし、良い奴も悪い奴もいるってだけの話だ。

 

また、少し話はそれるが安倍首相のスピーチは非常に上手いと思う。オバマ小泉純一郎のようなカリスマ性やキャッチーさこそないものの(本人もそれは自覚しているはず)、安定感や強いリーダーシップを発揮していく姿勢を明確にしている。「日本国民」というターゲット(特にB層)に対して、非常に効果的なスピーチをしていると感じる。「リーダーシップ」がとかくもてはやされ、「決断すること」「答えを出すこと」ができる人に価値の比重が傾いている現代日本の状況をよく理解している。(理解しているのはブレーンかもしれないが)

最近は強硬策のぼろが出て批判も多いが、政権運営や世論イメージ操作という点でも、かなり巧くやっていると感じる。単純に「やっていることが正しいか(=What)」は置いておき、「いかに運営するか(=How)」という点においては非常に高く評価すべきである。(民主党政権がひどすぎたという反動もあるが)

 

明治維新を第一、第二次大戦後を第二とすれば、安倍政権のやっていることは第三の開国である。第三の開国を導いた「衝撃波」はもちろん「グローバル化と技術革新の急速な進展」である。そのため、この開国は日本の国際競争力を高めるためのものである。安倍政権は三度目の「富国強兵」を行っていると考えるとわかりやすい。(さすがに「強兵」はまだ遠い話だが)

個人的にはそこに流れる男根主義を「気持ち悪い」と感じるわけだが、日本という国はこれが向いているのかもしれないと思う。自分は好きじゃないけど、日本はこれでも良いんじゃない?という。いわゆる「国家資本主義」というあり方は、世界で唯一成功した社会主義国家とも言われる日本人の性に合っていると思う。

だが、国家の一大転換期を迎えている現状で、これだけ議論が乏しいのは如何なものか。というか、ヤバいと思う。思想的強度が足りないまま、安倍政権のなされるがままに国が変革されていくことが一番怖いわけである。恐らく、このまま進むと安倍マンセー派と、安倍のやることには何でも反対のファッション平和主義(自称)左翼に社会が分断される気しかしない。そして、両者の中間にいる多数の真っ当な人たちは政治にコミットしなくなると。

向かっている方向が正しくないけれど(そしてそれが極めて問題なんだけど)、 進んでいること自体は評価すべきである。って感じ。

 

個人的には、日本文化の女性性を出発点とした国家のあり方があっても良いと持運だけどな~。そんなことを言うと無責任だの貧弱だの言われるだろうけど、それを突き詰めていくことだって一つの「覚悟」の形だと思うんだけども。

 

ーーーーーーーーーここから先は個人的な印象なのでほっといてくださいーーーーーーーーー

「女性の活用」にしろ「クールジャパン」にしろ、「国益」押し出し過ぎでげんなり。文化とか産業育成って、楽しくてやっていたら(もちろん国による支援は大事)結果的に国益に結びつくって方が良いとおもうんだよね。特に、現場レベルで文化産業に携わる人なんて左翼的な人が多いわけだし、それこそ「国益のために文化を作る」なんてアレルギー反応を起こされるだけでしょ。

国が色々手を出してチャレンジしていく姿勢、何かを変えていく姿勢は高く評価すべきである。でも、でもやはり安倍政権下の日本に流れる男根主義は「気持ち悪い」と感じてしまうのである。あくまでこれは個人的な考えで、むしろ今までが責任感のない女々しい国だったのだからこれくらい当然、という考えもある。

 

先程から感覚的な話ばかりで何かを反対する根拠にならないように見えるが、そんなことはない。そこに流れる思想を感覚的にどう捉えるかは、非常に大事である。なぜなら僕の勝手な考えでは、戦争をなくすためには人々が戦争を「してはいけないもの」「不道徳なもの」と捉えるのではなく、「気持ち悪いもの」と捉えなければいけないのである。倫理で人は動かない。美的感覚として戦争を「醜いもの」と感じなければならない。(この辺の話はフロイトといアインシュタインの書簡「人はなぜ戦争をするのか」に詳しい)

だから僕にとって、男根主義は「気持ち悪いからやめてほしい」のである。

 

結論がこんな感情的で単純なものになるのはしりすぼみだが、今はただこう感じるだけである。この感じ方は人それぞれなわけだし。ただ、自分の中でこのテーマに関する答えは見つけていきたい。

 

余談だが、「否定の否定」とも言われる「反知性主義」とこの男根主義の関係性はもう少し考えたい。「反知性主義」と「決断主義」の関係について、白井聡宇野常寛に対談してもらったらかなり面白いと思う。