最近のニュースに関する覚書
めも
特にオリンピックのロゴ問題などを見ていて思ったこと。
骨(=メディアネットワークの拡散能力、伝播力)の成長に対して筋肉(教養、知性)が追いついていない。今のインターネット空間は「精神のオスグッド病」と言える状況ではないだろうか。ルサンチマンと短絡的義憤が一般意志となり、数少ない(だが、だからこそ貴重な)専門知識や冷静な論理思考を呑みこんでゆく。マッカーサーは日本を12歳と言ったが、今のネット空間は14歳だろう。(これに関しては、ネット空間の成立から日が浅いのだから必然と言える。別にそれが良いとか悪いとかではない。)
悲観してはならない。というよりも、「世の中なんて所詮こんなもの」である。厄介なのは無能な人間も有能な人間と同等の骨を持っていることだが、これは仕方のない成長である。『大衆の反逆』で知られるオルテガが今の状況を見たら発狂するかもしれない笑
あらゆるもの、あらゆる人の声が可視化されていく中で、大切なことは「本物を見つける力」である。「この人の言うことは信頼できる」と感知するメディアリテラシーが本当の意味で求められている。それは砂金探しのように面倒だが、その面倒を省略してくれるツールだって続々と開発されているわけだから。
唯一怖いのは、そういう人のせいで真っ当な知識や経験を持つ、いわば「語るべき人」が語ることを恐れ、ためらってしまうことだ。(雑誌やテレビなど他のメディアに出られる程有名ではない人が「語るべき人」である場合も多い)