メモ帳

千葉の田舎で生まれ、東京の出版社で働いている20代。ノンフィクションを中心に、読んだ本や観た映画についてのメモ代わりに書いています。

ラブライブ!「スクスタ」20章のストーリーが荒れている理由と所感

■まえおき
ラブライブ!スマホゲーム「スクスタ」が荒れている。
10月31日15時より配信された最新のストーリー(20章)の展開に不満を抱くユーザーが多いためである。

スクスタは「スクフェス」に続くラブライブ!シリーズのスマホゲームアプリである。
アプリではこれまでの「μ's」「Aqours」に続く、3つ目のグループとなる虹ヶ咲学園(通称:「ニジガク」)スクールアイドル同好会がメインで活躍するストーリーとなっている。なおμ'sとAqoursも改変で同学年となり、物語の随所で登場する。

また、ニジガクについては現在TVアニメが放映中である。
※アニメは1日時点で5話まで放映されているが、脚本には比較的高評価の声が多い。それと対比する形で今回の20章を批判する人も見受けられたが、アニメについてはスクスタと異なる展開も多いので今回の話からは基本的に外す。

■20章のあらまし

スクスタのストーリーはseason1(TVアニメでいう1クール目)が終わり、season2が始まった。
いま荒れている20章はseason2の1章目にあたる。
20章のあらすじをざっくりまとめると、

・(19章の終了時点で次回予告的に触れられていたが)香港とニューヨークから転校生が来る(香港からはランジュ、NYからはミア)。
・ランジュは圧倒的なボーカルとダンスの実力を持っており、ミアは天才的な作曲能力を持つ。なおミアは再生曲ランキングに自身作曲の楽曲を30曲(!)も送りこむという、プロの世界で既に圧倒的な実績を残している。
・ランジュは理事長の娘でもある(=学園アニメで往々にしてあるように、圧倒的な権力を持つ)。
・彼女たちはスクールアイドル同好会には入らず、スクールアイドル部を設立。そして部に最高の設備、プロのスタッフを用意。
・同好会のメンバーたちに対してはその実力を認め(といってもこれから鍛えるべき「原石」としての評価)、部への参加を要請。
・一方で同好会の存在は許可せず、部に入らない場合は活動禁止に
・そのため、同好会のメンバーたち(9人いる)は部に入るか、誘いを断るかで意見が分かれる。3人が部に入り、6人は同好会へ残る選択をとる
・部は完全な実力主義で、現状は圧倒的な実力を持つ香港が単独センターを務める。他の部員はバックダンサーとなり、歌うことはない(ただし、実力を伸ばしてポジションを得ることは可能な模様)
・断って同好会に残った6人は活動を禁止され、監視委員会なるもので見張られる。練習をしようものなら即駆け付けられてアウト

【↑この状況になった段階で主人公の「あなた」が海外への短期留学から帰ってくる】
・「あなた」はランジュ&ミアと面会するも、これまでやってきた楽曲作りの役割を否定される(部の曲は前述した通りミアとプロがつくるため
・他のメンバーとの仲介役としての役割は期待されており、彼女たちを部に連れてこいと言われる
・同好会のメンバーたちは「あなた」を中心にまとまり、地道に活動をしていこうと悪戦苦闘するも・・・

以上が20章のあらましとなっている。

■なぜ荒れているのか?

上記の実際にプレイしていない方には感触がわからないと思うが、なぜ荒れているのか?
実際にプレイした所感と、SNSやまとめサイトなどでざっと見た声などから、ユーザーの怒り・悲しみの要因を考えていきたい。

0)ランジュ/ミアのキャラとしての魅力が乏しい
大前提として、単純なキャラ周りの話は重要である。なお、これ自体が荒れる理由というよりは、後述する諸要因にかかわってくる事項である。
ここでいう魅力とは脚本的な掘り下げではなく、純粋な「見た目」の問題。ぶっちゃけ、香港が可愛い(あるいは美人)であれば、叩かれるにしてもこれほどの事態にはならなかったように思う。
事実、season1での「敵役」とも言える栞子というキャラ(ネタバレで申し訳ないが、最終的に仲間になる)は造形の可愛さや時折見せる行動のしおらしさによって緩和されていた側面は大きい。要は「どんな糞ムーブしてもキャラが可愛かったらある程度許されるよね」という話だ。

だがランジュ(ミアは作曲家であり、今のところスクールアイドルとしては活動していないので一旦除く)については、個人的な意見だが顔・衣装などなどに正直言ってあまり魅力を感じない。「可愛げがない」だけではなく「可愛くない」。
可愛いという言葉がよくなければ、「カッコいい」でもよい(彼女はそうした方向性のキャラのように見える)のだが、それにも欠けている。SNSの大意もそんな感じだ(もちろん異論はあると思う)。
また、いわゆる「~~アル」っぽい言葉遣いをする、王道から外れた「典型的なトリッキーキャラ(言葉としては矛盾しているが…)」であることも災いしているように思う。

※これは余談だが、3次元と異なり2次元の難しいところで、そのキャラクターが他者と比較して圧倒的な実力/魅力を持っていることを言葉以外で示すのが難しい。他のキャラのセリフで「ランジュのパフォーマンスはすごい」と書くしかない。スクスタでは異例のMVを挟む構成をとっているが、「そりゃ悪手だろ蟻んこ」状態。ランジュの動きだけ他のキャラより滑らかにする、とかできないでしょう(他のキャラのクオリティを下げるやり方はありえるかもしれないが、誰もそれは望まない)。
ランジュ(とミア)の実力が「圧倒的」であるがゆえに周りも納得せざるをえない、というのが20章の前提となっているのだが、スクスタ内のキャラと違ってユーザーはランジュに「圧倒」されているわけではないので、納得感がわかない。これが3次元の欅坂46であれば「言うても平手友梨奈は圧倒的だしな…」という会話が成立する。

1)今後の展開に対する不安(とある程度それが読めてしまうことによる嫌悪感)
栞子が仲間になったこれまでの展開や、その他諸々の情報(例えばゲーム画面の空きスペースなど)からして、ランジュ&ミアも仲間になる可能性が高い(もしくはA-RISEやSaint Snowのようなライバルポジションになる可能性もあり得る)。が、いずれにせよ、彼女たちに対する現状の印象が悪すぎるため、今後のストーリーに絡んでくるのに耐えられない。また仮に仲間になったとしても、こんなキャラの人気が出ることはないのでは?そうなったら演じている声優さんもかわいそう。

2)怒涛の新キャララッシュへの疲弊と虚無感
栞子が入って彼女がまだそれほど馴染んでいない段階で、さらに2人も新キャラが出てくるのは展開が唐突すぎる印象を抱く人もいるだろう(ちなみにラブライブ!は高校1~3年生に各3人ずつの9人グループがお約束であり、栞子が加入して10人になったことはそこそこ驚きの展開だった)。しかも「他者への価値観の押し付け」という、season1で栞子が行っていたことの繰り返しを見させられるのは苦しい。
後述するように、ニジガクに関してはこれまのμ'sやAqoursとは異なる、より複雑な「問い」を投げかけてくるコンテンツだと思っている。そういうものを作りたい考えは理解できるし、それ自体は悪くない。ただ、その「問い」を設計する手段が転入生の登場、というのは栞子の登場時と展開に大差がなく、筋が悪いように感じる(逆に言えば、新キャラはニジガクの9人を「試す」ための装置として消費されるだけ?それはそれでかわいそうになってくる)。

3)ヒエラルキー構造への反発
「チームとしてひとつになる」ことへ主眼が置かれたμ'sやAqoursとは異なり、ニジガクは「9人がそれぞれソロとして個々の魅力を発揮する」ことを重要なコンセプトに設けている。そういうニジガクだからこそ、部の中で(たとえ一時的かもしれないにせよ)バックダンサーという役割を担わされていることに対して嫌悪感を抱く人は多いと思われる。
※バックダンサーという「役割」を貶める気はなく、センターより明確に「序列」の低い存在として扱われていることが問題である(仮に、自らの個性としてその役割を主体的に選んだのであれば全く問題ない)。

4)ユーザーが愛情を抱くキャラがぞんざいに扱われていることへの悲しみ/怒り
20章の冒頭は、ジャンプのバトル漫画でよくある、インフレした新キャラにこれまでの強キャラがボコられる(たいていは一瞬で無残に倒される)シーンに近い感覚である。しかも「強さ」という明確な指標のあるバトル漫画ならともかく、スクールアイドルという領域でそうした表現をするのはかなり賛否が分かれると思う。
各キャラの掘り下げがまだ充分にされているとは言い難い中で、彼女たちの能力を貶めるかのような展開は、ユーザーによっては耐え難いのでは(特に推しキャラがそうなっている場合)。

5)「スクールアイドル」というコンテンツで上記の展開を行うことのミスマッチ感
「スクール」アイドル(=アマチュア)でこうした弱肉強食的行為をあからさまに行う(その価値観を是とする)ことへの忌避感がある。例えば作曲家の子などは、プロとして活動を続ければよくないだろうか?プロのスタッフを雇うことも「チート」と捉える人は多いだろう。

ラブライブ!の世界ではスクールアイドルは部活動の一種であり、例えるなら甲子園を目指す高校球児のようなものだ。そこにプロの実力や資本が入ってくるのをよろしくないと感じるのは至極当然の発想。
※これは作品世界の作り込みの問題だが、例えば高野連のような組織がルールを設定していたりしないのだろうか?例えば「楽曲、衣装の制作は学生によってのみ行うこと(大人は指導の範囲であればOK)」みたいな。

また、(スクール)「アイドル」という、AKBなどに象徴される「ヘタウマ文化」の成熟したジャンルに純粋なクオリティの優劣という視点を持ち出すのは、そぐわない話ではないか。陸上や重量挙げなら直線的に優劣を測ることができるが、アイドルの良し悪しがそう単純な話ではないことは、あまり詳しくない自分ですら想像に難くない。

※ただ、ランジュに対する「うまいしすごい。でもコレジャナイ・・・(大意)」という「あなた」をはじめとした幾人のコメントからするに、このテーマは後々回収されると思われる。おそらく、アイドルグループにとっての多様性とは何か、標準化(均一化)されたクオリティ/パフォーマンスと多様性の折り合いをどうつけていくのか、という射程まで拡げた物語を展開してくれるのではないだろうか(というか、それをやってほしい)。欅坂46平手友梨奈という圧倒的センタ―の存在で成り立っていた(正直あまり詳しくないので違っていたらすみません)ことなどを想起させる。
※とはいえ、それは「スクールアイドル」「ラブライブ!」という装置を使ってやることなのか?もっと日常寄りのハッピーな話を盛り込んでくれ!といった意見は消えないとは思うが。

■個人的な評価
・テーマ性を追求することは肯定的に評価したい。
・それを「ラブライブ!」という人気コンテンツでやることも、個人的には肯定的。大袈裟な話ではあるが、クリストファー・ノーランの大傑作『ダークナイト』もそうやって生まれたわけだし。
・ただ、やるならキャラ造形、脚本の掘り下げなどをより丁寧に行うことができたのではないか?少なくとも新キャラがヘイトを溜める必要があったとは思えない。
・配信のタイミングも事態をより難しくしている。スマホゲームという制約上、1か月に1章(アニメでいうと1~2話程度)単位の配信ペースになってしまうため、その間はストーリーがまったく進展しない。一方でスレッドは日々立てられていき、モヤモヤ感や悪印象は増幅される一方だ。1か月後に香港やNYの株をあげるエピソードが入ってきたとしても、今回作られたイメージが拭われることは難しい気もしてしまう。これが例えば映画のように初めからオチまで一気に見る形であれば、もう少し評価は変わるのかもしれない。

■最後に
・ここまで書いておいてあれだが、制作側はユーザーの声に過剰に耳を傾けないででほしい。変にユーザー目線を取り入れて脚本が混乱することほど最悪なパターンはない。
・今までの「ラブライブ!」の「正統後継者」でないことは最初から明白だし、それは私の大好きなファイナルファンタジーをはじめ、ナンバリングタイトルでは必然的に起きる「進化」なので好ましいと考える。予定調和的に終わるよりははるかにマシ。
・繰り返しになるが(詰め込み方のバランス感覚は重要だが)より複雑で正解のない問いを盛り込むことはよいと思う。
・その結果名作が生まれようと駄作が生まれようと、ユーザーはただ甘受するのみである。