映画の感想:マグノリア
『ブギーナイツ』に続いてのPTA。オリジナル脚本でこれが作れるのはスゴイ。
興行的にはイマイチだったようだが、確かにこちら側が理解するために労力をかける必要のある作品ではあった。あと個人的に、彼はもっとポップで明るい中にも悲劇性のこもったような作風の方が向いているように感じる。要はブギーナイツ的な喜劇の方が得意なのではということ。
マグノリアは良作だし個人的にはこういう作品は好きだけれど、PTAの映画としてはブギーナイツの方が肌に合うものを作っているように感じた。あくまで向き不向きの問題だが。
後はやはり、音楽の使い方にこだわりが感じられる。多少やり過ぎな感もあったが。公開時のインタビューでの以下のコメントを拾って納得。
『ブギーナイツ』も曲が前面に出ているわけですけれども、僕は、この『マグノリア』も一種のミュージカルだと考えておりまして、大変大きな位置を占めていると考えております。
この映画の大きな特徴であるテーマに関して。カエルと旧約聖書の関係性は他の記事で書かれている通りだと思う。そう言えば、『海辺のカフカ』でも蛙が降ってくるシーンがあるけどあれもそういった神秘性に由来しているのだろうか。
「罪と赦し」という問題はもちろん、ラストの方で登場人物が吐き出す「愛があるのに、そのはけ口が見つからないんだ。」というセリフがこの作品を象徴しているのかな。
あと興味深いのは、コカインの話と娘への性的イタズラ(未遂?)に関しては、「赦し」が適用されていないこと。
これによって、ただ「赦すことが大事!」と伝えるのではなく、警察官の台詞の通り「何を赦して、何を裁くのか。それが難しい。」というメッセージになっている。確かに何でもかんでも簡単に赦すわけにはいかないから、個人的に映画内でそれらの罪が赦されなかった(あるいは赦されないことを恐れて言えなかった)ことは非常に重要だと思う。
そりゃあ赦すことは大事だし、もちろんいつかは赦すのかもしれない。だけど、その瞬間が映画内で訪れる必要はない。もし作中で赦されてしまうと「そんなにアッサリ赦しちゃうのはなぁ、リアリティないなぁ」と感じてしまう。
赦しにはどうしたって時間が必要なものだし、赦される側ではなく赦す側の問題として、どうしても赦すことのできない人もいる。人によっては、赦せないけど前を向くしかない、っていう複雑さを背負って生きていく場合もあるわけで。
また、エンディングについては以下の様に述べている。
僕がいつも目標としているエンディングというのは、もっともハッピーで、もっとも悲しいということを念頭に置いて作ります。
確かに面白かったし、こういうメッセージ性のある作品はとても好きだ。だが、PTAはしっとり系の映画ではなく喜劇的な展開の方が向いているとも思った。ドストエフスキーじゃなくてゴーゴリ、太宰じゃなくて芥川ってことか??(『ゼアウィルビーブラッド』『インヒアレントヴァイス』『ブギーナイツ』とそうしたタイプの作品しか観ていないためバイアスがかかっているのかもれいないが、そう感じた。)